昔の映画は基本的にサイレント、
音声のないものだったわけだけど、
映像だけで笑いを取った
「チャップリン」
は本当にすごい人だと思う。
日常の“あるある”も含め、
人々の共感を得るというか、
誰もが想像できる身近さ、
だけど誰もやっていない、
という、
チャップリンの笑いには、
絶妙な距離感があったのだ。
・・・なんて分析できるほど、
詳しくはないのだけど(笑)
だけど、
もしチャップリンの映画に音声があったら・・・
きっと人々の反応は、
今とは違っていたのではないかと思う。
つまり、
“サイレントゆえの面白さ”
なのだ。
音声がないからこそ観る側の想像力が働いて、
頭の中でイメージが広がるのである。
もちろんサイレント映画の時代から、
音声付きのトーキー映画の時代に変化した際には、
サイレントでは表現できなかったことを、
存分に表現できるようになったわけで、
映画の世界もどんどん素晴らしく変化し、
今日まで発展して来たわけなのだけど。
もしジュラシックワールドがサイレント映画だったら、
やっぱり迫力に欠けたことは間違いないだろう。
↑
これは間違いない(笑)
そんな本日は、
『世界初のトーキー映画が公開された日』
なのだそう。
もしかしたら逆に今だからこそ、
サイレント映画が面白いと話題になる、、
、、、、、、、、、、、、かもしれない。
さてさて、
人はついつい“何かを付け足す”
という意味で“プラス思考”なところがある。
料理で言うなら、
塩に胡椒に七味にマヨネーズにケチャップに・・・
音楽で言うなら、
ギターを3本も4本も重ね録りした上に、
ピアノにストリングスにいろんな音を重ねたり・・・
生活にしたって、
あれもこれも買い揃えたり・・・
恋愛にしたって、
彼女に彼女に彼女に愛人に・・・
↑
※注)飽くまでも“例え”ですので!(笑)
そんな風にして、
ついつい“プラス思考”が働いてしまう。
だけど、
実はうっすら塩味ぐらいの方が、
素材の味が活きて美味しかったりするし、
曲のアレンジもシンプルな方が、
肝心のメロディーが活きて伝わるし、
生活だって最低限の環境の方が、
満たされない幸せがあるし、
恋愛だって・・・言わずもがな(笑)
要するに、
“足せばいい”
なんてことではないのである。
そんな僕はいわゆる“弾き語り”
というスタイルで活動している。
もちろんバンドもしたいし、
作る曲は基本的にバンドサウンドの楽曲。
だから場所によっては「オケ」を使って、
弾き語りでないライブもするのだけど、
「歌」や「ライブ」の本質を考えると、
弾き語りはものすごい力を秘めていると思う。
楽曲のイメージやノリを、
オケを使ってダイレクトに伝えるのも、
一つのやり方として大いにあるけど、
弾き語りゆえに感じてもらえるものが、
そこには絶対にあるはずなのだ。
“引き算の美学”
そんなことを考える今日この頃である。
まぁ、、、
引き算し過ぎて、、、、、
愛人も彼女もいないのだけど(笑)
ということで?!
皆さん、今日も楽しい一日を(^^)/
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伊藤直輝ホームページ
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