仮定してみればいいじゃない

 
行き帰りで、

高速道路を計4時間半ほど走った。

距離にしてだいたい450キロぐらいだろうか。
 
っとまで書くと、

どのくらいのスピードで走っていたのかが、

小学生にもバレてしまうのだけれど(笑)
 
 
 
車の運転は好きだ。

だけど、高速道路はちょっと疲れる。

体の緊張も頭の集中力も、やっぱり高まってしまう。
 
 
そうすると、

リラックスしようとする。

それはまた、

リラックスしようと違う部分が不自然に力んでいることであり、

結局、疲れるのだ。
 
 
 
恋愛でもよく言うように、

自然にしようとすること自体が不自然であり、

好きじゃない好きじゃないと思うことで、もうすでに意識しているのである。
 
 
反対語でも言うように、

「好き」の反対は「嫌い」じゃなく「無意識」である。
 
 
 
こういうことを考え出すと、

物事や自分の心理の奥へ奥へと行ってしまう。

それが表面なのか裏側なのか、本音なのか。。

扉の向こうに扉があるような感じ。
 
 
なんとなく、、

そういった心の中の扉にも、

パンドラの箱のような、

開けてはいけない扉があるようにも思えてしまうが・・・

そういう扉にカギっては、不思議とちゃんとカギがかかっているものである。
(↑ダジャレも忘れずに・笑)
 
 
 
冒頭の時速の話のように、

AとBを知ることでCを知ることがある。

もちろん、物事や心のすべてがそんな

ハ・ジ・キ(速さ×時間=距離)の法則

的なもので成り立っているわけではないのだけれど。
 
 
だけど少なくとも、

今の現状や心情を直視するのではなくて、

それらから導き出せるポジティブな世界が必ずあるはずだ。
 
 
そんな簡単なことじゃないかもしれないけれど、、
 
 
でも、数学でよく見る言い方をさせてもらうなら、

「あると仮定する」

だ。
 
 
だって、そうしなくては始まらない。